Linuxにフォントをインストールしたときのメモ

環境

はまったこと

Googleの指南どおりにインストールしてもフォントが読み込まれていないようでした。 GUIのフォントの設定画面では、インストールしたフォントはすべて文字化け状態でした。

解決策

今回の問題はFontconfigが、インストールしたフォントのファイルに対するアクセス権をもっていなかったのが原因のようです。chmodで読み込めるようにすると治りました。

インストール手順

まずは必要なフォントをダウンロードします。 今回はGoogleのNotoCJKを入れます。

https://www.google.com/get/noto/

リンク先から目的のものをダウンロードします。

ダウンロードしたzipファイルを解凍して、Fontconfigが見つけられる場所に コピーします。 個人用の設定なら~/.fonts/、システム全体での設定なら/usr/share/fonts/以下の任意のフォルダにコピーします。

cd ~/Downloads   # or wherever you downloaded a font pack.
unzip <font package>.zip
# for a single user
mkdir -p ~/.fonts
cp *otf *otc ~/.fonts
# for all users
sudo mkdir -p /usr/share/fonts/opentype/noto
sudo cp *otf *otc /usr/share/fonts/opentype/noto

続いてコピーしたフォントのファイルをFontconfigが読み込めるようにします。

sudo chmod +r /path/to/copied/fonts/dir/*.otf
sudo chmod +r /path/to/copied/fonts/dir/*.otc

続いてインストールしたフォントを使用するように設定します。 ~/.config/fontconfig/fonts.confを作成し、以下のように記述します。

<?xml version="1.0"?>
<!DOCTYPE fontconfig SYSTEM "fonts.dtd">
<fontconfig>
        <alias>
                <family>serif</family>
                <prefer>
                        <family>Noto Serif CJK JP</family>
                </prefer>
        </alias>
        <alias>
                <family>sans-serif</family>
                <prefer>
                        <family>Noto Sans CJK JP</family>
                </prefer>
        </alias>
        <alias>
                <family>sans</family>
                <prefer>
                        <family>Noto Sans CJK JP</family>
                </prefer>
        </alias>
        <alias>
                <family>monospace</family>
                <prefer>
                        <family>Noto Mono</family>
                </prefer>
        </alias>
</fontconfig>

(Noto ...となっているところはインストールしたフォント名に変えてください。)

最後にfc-cacheでFontconfigのcacheを更新します。

sudo fc-cache -f -v 

必要であれば再起動します。

参考

贅沢な紅茶

先日妹と弟が京都に遊びに来た。せっかくなので昼下がりに烏丸四条なる紅茶専門店ティータイムを取ることにした。 ストレートティーが1000円程度、ミルクティーが1200円程度と、少し高めの価格設定の店であった。

某ウイルスのせいか、交通の便がいい立地でありながら、店内は閑散として落ち着けた。

僕はミルクティーを注文した。 抽出の段階から砂糖を入れるようで、甘くてもいいか聞かれた。 砂糖の甘さはなくてよかったので、入れないで欲しいと頼んだ。

口の広いティーカップにミルクティーが注がれ、上にはフワフワに泡立てられ、 ほのかに甘みの追加された牛乳が乗っていた。 紅茶はコクのあフォームドミルクの中にうまく溶け込み、一口含むと口全体に甘味のある香りが広がった。鼻から出てくる吐息の最後まで美味しかった。

飲み終えようかという頃合いで、抽出に使った鍋とそこに残った茶葉を見せてくれた。 牛乳をあっためグラグラしたところに紅茶を30gほど投入し、すぐに火を止め 葉が開いたところを見て茶漉しを通してカップに注ぐという。

後日自宅にて、ふとあの紅茶の香りを思い出し、自分でも入れてみることにした。 流石に30gも使うのは抵抗があったので、チャイを入れる容量で牛乳をあっためたところに 紅茶を入れてしばらくグラグラと煮出した。 隣では牛乳をあっためながら泡立て器でフォームドミルクを作った。

抽出した紅茶を茶葉で濾してカップに注ぎ、その上にフォームドミルクを乗せて完成である。 非常に美味しかった。 流石に店で飲んだものほどとはいかないが、家で飲むには十分すぎるほどの出来であった。 贅沢なものである。

ところでこの贅沢というのは何かと考えれば、それは金銭的なものではない。 家で飲んだこの紅茶は、おそらく100円もかからずに作れている。

この贅沢とは、経験と時間のことである。 先日あの紅茶を飲んだことで、世の中にはこのような飲み物があることを知り、その味を 経験した。これには額面通り1200円の価値があろう。 また、家でそのような紅茶を淹れ、飲み干し、洗い物まで含めれば45分くらいだろうか。 実際はこの文章を書いているのでもっとかかっているが… 飲む時間を数えなければおそらく15分くらいで終わるだろうが、時間に追われている人には その15分といえどもおしいものだろう。

物を買ってもそれだけでは家が散らかるだけだ。 これは上念さんに言わせれば負債を買っていることになろう。

ところが経験や時間にお金をかけると、それだけ生活が豊かになる。 お金を生み出すわけではないかもしれないが、僕はこれを資産だと思いたい。

便器という商品

大学のトイレで用を足していてふと思った。 この、大便器という製品はすばらしい売り物である。

大便器が大便器であるために必要なことは、用を足せることと、常に清潔に保たれることである。 この二つの機能を完全に満たしているのが、大便器の下側にある陶器の部分である。 この陶器さえあれば大便器は大便器としての役割をまっとうすることができてしまうのだ。 さらに、この陶器の部分は非常に単純な作りをしており、一切ハイテクなものがないのである。 それでいて非常に頑丈に作られているので、大切に使えば100年は十分使うことができそうである。

その一方で、便器の利便性や排泄中の快適さを高めるという付加的な機能をつけるため、陶器の上には 日本が世界に誇るテクノロジーが詰め込まれた便座が乗っている。こちらの部分は、技術革新により つぎつぎと新しい製品が生み出されるため、100年使うことは叶わないだろうが、その分交換が容易なため 常に最新の状態に保つことができるのである。

一つの製品を末長く使い続ける喜びを味わいつつ、いつも最新であることからも満足感を得られる。 そんな物の売り方を見習っていきたいものだ。

BGMは必要?

その辺のBGM

僕の周りはBGMで溢れかえっている。

動画のBGM

YouTubeのトップページをパラパラ見ていると面白そうなサムネイルがチラチラと流れていく。 そんなサムネをクリックするとお洒落な感じのオープニングが始まる。 バックに流れているのは様々な人が自身の動画で利用している無料音源である。

単純で短いメロディーがひたすら繰り返されるだけのBGMは脳のリソースを途端に食い潰していく。 たちが悪いことに、この悪質な『メモリリーク』は動画を見終わった後も長く尾を引くのである (いい加減な言葉の使い方するとその道の人に突っ込まれそうw)。 さらにあまりにも多くの人が使っているBGMだと、脳を支配されるのに冒頭の一秒も掛からないのである。

店のBGM

今の家に引っ越してきてからしばらくは、近くの安いスーパーに通っていた。 ところがだんだんとBGMが耳につくようになってきた。 スーパー特有の安っぽい音で延々と繰り返されるBGMはかなりしんどい。 この音が嫌すぎて、このスーパーにはめっきり行かなくなってしまった。 大学の近くの商店街の方がいい。

このところ異常に音が煩く聞こえるようになってきた。 ヨドバシカメラは店員の対応も良くてよく立ち寄っては店を下から上まで練り歩いたものだが、 行けなくなった。 やはりBGMがうるさい。

最近は体調のせいもあってか、BGMがうるさいと脳が思考を放棄するのがはっきりとわかる。 じっくり選びたいものがあってもだんだんと意識が薄れていき、しまいには適当に選んで 買い物カゴに入れていることもある。

BGMの意味

店のBGMの効果

まあ店側もアホではないので、きちんと意味があってBGMをかけていることだろう。 適当にGoogleで調べてみると、安っぽいBGMは陳列されている商品が高級に見えるだとか、 テンポを適切にすれば精神が興奮して購買意欲が上がるとか。[要出典]

しかしこれは消費者からすればたまったものではない。 こちらの意図に反して脳の資源を使われるわけだし。 (そういえばアフィリエイトの広告の代わりにマイニングのスクリプトを埋め込んだら高裁では有罪になったんだっけ。 勝手にユーザーの資源を使ったらダメなんだっけか。) 商品価値以上のものを脳を犯すことによって錯覚させるのは詐欺に近い行為ではないか。

一方確か京都駅の伊勢丹は結構静かだった。 多分BGMも流れていない。[要確認] いずれにせよ静かである。 静かな中でよく訓練された店員が色々と話を聞かせてくれる。 疑問をぶつければすぐに解決できるし、それでいて商品を押し付けがましく売ろうとしないのだ。 この辺はヨドバシもそうかもしれない。

これらから、スーパーではただ安さを売り、ヨドバシでは安さの他に買い物の体験も売っているが、 これらの店では安さをカバーするために煩い音楽をかけている。 一方伊勢丹のような高級嗜好の店では、より上質な買い物体験を売りにしているが、 その分のコストが値段に転嫁されているようである。

どちらにしても商品一つに対する総合的なコストパフォーマンスはそんなに変わらない気がする。 ただ、主観的な実感としてはより上質な買い物体験を通してかつ少し割高な価格で購入した方が、 一つ一つを長く大切に使っていこうという気になるし、また、購入するまでによく吟味すると思う。 この点を考慮すれば、やっぱりいい買い物というのは静かな環境でじっくりと考えながら行うものである。

YouTubeについては

まあ、所詮素人がやっていることだしな…

と思ったが、よく考えてみれば大手と言われるYouTuberが軒並み同じBGMを使っていることは無視できない。 そのせいもあって大手の動画は僕にとっては見るに耐えないものになってしまっている。

これについてもやはり脳や心理に対して何か影響があるのかもしれない。 しかしこちらも脳の資源を無駄に犯されることになるので気持ちが良いものではない。

自分の動画にBGMを入れることの意味を考えている人はどのくらいいるのかな。

結論

ただ思ったことをつらつらと綴っただけなので特に結論はないが、僕はBGMが嫌いだ。 環境音をもっとよく聞き楽しむ方がよっぽどいい体験ができると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=JTEFKFiXSx4

冷やかしと見込み客

昨日高島屋でNespressoに立ち寄った。 以前伊勢丹のNespressoにふらっと入ったらコーヒーを淹れてくれたので、今回もそれを目的に行ったのである。

完全に冷やかしのつもりで行ったが、店員にもそれが分かったのか、対応が非常によそよそしかった。

しばらくマシンを見ていると、お婆さんがやってきたのだが、僕の対応をしていた店員がすぐさま話しかけに行った。どうやら常連のようだ。開口一番何か味見するかと聞いていた。

冷やかしと常連では対応が異なるのは当然であるが、あまり気分がいいものではない。

しばらくまたマシンを見物していると、別の店員がやってきて話をしてくれた。こちらの店員は愛想がよく、すぐにコーヒーを喫むかと聞いてくれた。今回興味があって見ていたのがフォームドミルクを作る機械だったので、それを使ったラテを淹れてくれるとのことだった。

コーヒーは以前伊勢丹でも飲んでいたが、ラテは初めてだった。事前の説明通り、とてつもなくキメの細かい泡であり、砂糖をいれずとも十分な甘みを感じる仕上がりであった。さらに驚いたのは、コーヒーの香りがものすごく鮮明に感じるのである。

ただの冷やかしが見込み客に変わった瞬間である。

今回の体験で気づいたこととしては、来店した客が冷やかしかどうかは本人にもわからないと言うことである。

誰彼構わず愛想よくするのもどうなのかわからないが、冷やかし客は冷やかしだからこそいかにもてなして将来の常連に育てるかが重要だろう。

ちなみに春から生活環境が変わってしまうので、ハンドドリップで淹れる時間が確保できるかどうかはわからない。今後Nespressoに金を使うかどうかは自分でもはっきり言えないのである。

ミニフランスパン焼きました

ミニフランスパン焼きました。

前回焼いた時は表面までふわふわで食パンみたいだったので、今回は発酵時間と加水率を低めに設定しました。

発酵は一次、二次とも40ºCで20分です。
加水率は50%です。

工程は動画で紹介します。

少し発酵が足りなかったようです。 二次発酵をもう少し長くしてもいいかもしれません。 あと、いろいろなレシピを見ていると、準強力粉を使っていたり、薄力粉と強力粉をブレンドしていたり するので、そういう粉を使ってみるのもいいかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=EoiE1F0_kpY&t=143s

何にお金を出すか

お金を出して買いたいと思うもの、サービスはなんだろう

最近はものをめっきり買わなくなった。 欲しいと思っても一度その購買欲は家まで持って帰ってじっくり考えるようになった。 そうすると大抵の場合欲しいと思わなくなってしまう。

特に買わなくなったものといえばホームセンター等で手に入るような日用品である。 収納を整理するためによく買っていたが、それも昔の話になってしまった。

ではどういったものにならお金を出したいと思うのだろう。

最近買って良かったと思うものは文机である。 アンティークショップで3万円で買った小さくてぼろっちい机だが いたく気に入って使っている。

この文机は昭和初期のものだと言っていた気がするが、無垢の板を使って作った『本物』の家具だと感じる。

僕はこのような『本物』にはお金をかけたいと思うのだろう。

本物とは

最近その辺に売っている家具といえば、MDF等の加工された木質の表面に、木目調のシールを貼ってそれっぽくした ような紛い物が多いように思う。 割合や少ないものでもそのような傾向がある。 大学入学の時に買ってもらった3万くらいのまあまあな本棚も木目調の偽物だった。

大学生活で本が増え、その度にアマゾンで本棚も追加した。 他にも物を整理するためにニトリなんかで引き出し等も買ってきた。

こうして気付いてみれば、僕の部屋は木目調の偽物ばかりであった。

そして何がきっかけともわからないが、本物の家具が欲しくなるようになっていた。 家の荷物を整理して、偽物の家具も全部捨てて、そしてアンティークショップを巡っているうちに出会ったのが 上に書いた文机であった。

滅多に衝動買いはしないのに、この机は店で見た瞬間に惚れ込んでしまって即購入した。

これは多分僕が死ぬまで使えるし、その後も僕の子供が使ってくれるか、気に入らなければまた その辺のアンティークショップに展示されてそのうち誰かの家にころがりこむことになるだろう。

おもうに本物とは、世代を超えて大事にされるだけの丈夫さがあるものである。 それは物理的な丈夫さでもあり、時代を超えても人の心を引きつけるだけの心理的な丈夫さ、 あるいは時間に対する普遍性とも言えるかもしれない。

本物にはお金を出す価値があるのだろう。